斎藤喜博によって始められた表現について平成7年度に体育の表現運動の領域として発表したものです。 現在もこのころのと同じ考え方で教育活動を行っています。今年度(平成13年度)にも受け持っている学年も表現を行いました。

表 現 運 動

子どもの内面の充実をめざし、一人ひとりのよさを生かした表現運動のあり方
                                                      
1.苦手だった私が・・・
 高学年になると表現運動を恥ずかしがって、なかなか意欲的に取り組もうとしないという話をよく聞く。取り組んだとしても、照れながら、恥ずかしそうにやって終わりということが多いのではないだろうか。そのため、教師自身もこの表現運動を敬遠してしてしまい、あまり熱心には指導しないという悪循環に陥る。正直言って、私も以前はそうであった。年間計画にあるので仕方なく取り組むという状態であった。しかも、やらせても上記のように、照れながら恥ずかしそうにするという表現運動になってしまい子どもも教師も満足のいかないものになっていた。必然性のない題材を教師から無理やりやらせ、子どもは能動的になれずに、自分達で考えるという場面のなかだけで形だけは自主的になってはいても、いざ、実際に表現をしていく段になると、照れながらやるというような状態であり、とても内面を充実している表現とはなっていなかったのではないかと思う。
 しかし、現在は、私は、この苦手だった表現運動を子どもたちに取り組ませることが大変楽しみであり、そして、やりがいのあるものになっている。というより、私の学級経営の中心になっていると言った方がいいかもしれない。それは、この表現運動というものが子どもたちの心を育てる、すなわち、内面を充実していくという目的を持って取り組むのに大変適した教材だと思えるようになったからである。
 表現運動とは、表現自身が目的であるということはありえない。何を表現するかという一人一人に表現をしたいと思う対象があり、それを表現するためにあるのである。その意味で、内面がどのようになっているのかということを知ることが他の教材よりも適しているのである。また、集団であるものを表現していくわけであるから、協力していかなくてはならないし、それぞれが、空間を感じ取り、対応していかなくたはならないものである。筋力をつけたり、感覚を鍛えるなどの訓練をそれほど要しないので、精神的な面がそのまま表出しやすい。その点で、一生懸命取り組んでいるかそうでないかなどすぐ分かるし、イメージを持って行っているかどうかもわかり易く、内面を充実するためには、大変優れた教材である。 表現運動を指導することが苦手で、いや、どちらかというと逃げ腰だった私は、以上の様に学級経営と関連づけて考えた結果、現在では内面を充実するために積極的に指導を行うようになったのである。
 しかし、私がそう考えるようになったきっかけは、ある[表現]との出会ったからである。

2.[表現]との出会い

 今から7年前の2月、私は現在取り組んでいるような形の表現運動を初めてこの目で見た。広島県の三津小学校の公開研究会の時である。その時の驚きと言ったら、言葉では言い表せないくらいのものがあった。その表現運動を見て感動して涙が出たと言えば分かっていただけるかもしれない。そのくらいの衝撃のある表現運動だった。私は、これだ!と思った。
  だた、現在一般的に体育で行われている表現運動とは違い、教科領域を越えた総動的な表現運動であった。これが現在私が取り組んでいる表現運動である。(以下[表現]と呼ぶ)
表現とは
 総合表現は斎藤喜博によって開拓された新しい表現活動である。その先鞭をつけたのは、1977年に創作された表現教材<利根川>(斎藤喜博作詞、近藤幹雄作曲)で、同年秋の室蘭啓明高校と小松市東陵小学校の公開研究会ではじめて公開された。 <利根川>は、悠久の利根川の歴史に人々の生活のドラマを織り込んだ57行の叙事詩を合唱組曲風に編成したもので、朗読、独唱、合唱、ハミングなどの多彩な要素で構成されている。合唱組曲として、朗読と歌唱のみで表現することもできるが、ふつうは身体表現を織り込んだ劇的な形式で表現することが多い。後者の場合はオペレッタ(軽歌劇)や音楽劇とも似てくるが、@特定の登場人物や主人公はなく、Aスト−リ−性よりも詩的な情緒性が重んじられB劇的な表現よりも象徴的な表現に適合している、などの諸点でそれらとは異なっている。こうした既成の表現ジャンルにはない特質をあらわす意味と表現形態の多様性(朗読、台詞、歌唱、ステップ、ポーズ、動きなど)を示す意味との両方を含んで、総合表現という名称が用いられるようになった。                  授業研究用語辞典 横須賀薫 編166ページより

3.なぜこの[表現]を選んだか

 私が、なぜ一般的な表現運動よりも現在取り組んでいる[表現]の方を選んだのかというと7年前に出会った時の「これだ!」と思った私の感覚からきている。この[表現]を見た翌年から、毎年行っているが、最初は「こうこうこういう理由でこの[表現]に取り組みました」というのは全く無く、ただ、あんな[表現]をしてみたい、あんなに素敵な子どもたちを見てみたい、という強いあこがれのもとに行動していったのである。
 ただ、実践を通じて、この[表現]というものにはすばらしい面がたくさんあるということが実感できるようになってきた。

1.指導に整合性が出てきて、生活にもその指導が生きてくることが多い。
 どの子も大きな声を出して合唱をしようという指導をしていくことは、学級の友達をお互いに尊重していこうという指導につながっている。また自分で考えた表現をしようとか前とは違う表現にしてみようなどと指導していくことは、主体性や創造性を伸ばす方向につながっている。その他、全員で一つの場面をつくったり、対応したりする指導によって集中力を養うことにもなる。イメージを持った表現になるようにということも、生活の中でもいろいろな行動をする時にも要求していくようにもなった。例えば、あいさつなども形だけでなく、内面を見て指導したり、これから何をするのかというイメージを持って行動しているのかなど、普段の生活の中にも[表現]の指導に係わることが多い。以上のように学級経営と深く関係していると感じている。
2. 完結性ができる。
 以前は表現運動というと、単発の課題を与えて、それを表現していくという取り組み方だったのであるが、[表現]は一つの物語(8〜15分ぐらい)を表現していくわけである。それぞれの部分部分は、さほど表現運動のつくり方は変わらないのであるが作ったもの同士が合わさって大きな一つのものになっていくという点や、合唱や朗読なども入ってくるという点などから、いろいろな教科を通じて一つのものを作ってそれを発表するという完結性を持たすことができ、子ども自身にやり遂げたという満足感を持たせやすい。
3 時数が確保できる
 これを言うと、大変不思議がられるのであるが、実際、国語、音楽、体育と3教科にまたがっているのであるから、[表現]を行うには大変都合がいいのである。特に音楽などにはオペレッタなどが入ってきているので、これと合わせて指導することができるし、国語の朗読などは、この[表現]を指導することで一段と上達するのも事実である。また、私は学習発表会に[表現]を発表しているので、学習発表会のための時間をそれほど意識しなくても、普段やっていることを発表するのであるから、無理を感じることが他の劇などを行うよりも少ないのではないかと思っている。

4.取り組みの実際

1 導入
 国語の時間を使い、これから取り組む[表現]をよく読み、疑問を出し合い、自分たちなりに解釈を深めて行く。この時間を大切にすることが、子どもたちに能動性を持って取り組ませるかどうかのポイントがあるように思う。ストーリ−のある題材が多く、子どもたちにイメージを持たせやすい。
2 合唱・朗読の取り組み 〜省略〜
3 身体表現部分の取り組み
 表現[利根川]に次のような部分がある。
洪水のために家を流され 屋根の上で助けをもとめながら流されて行った人もいた
  1 この部分を読んで、一人一人にイメージを持たせる。
  2 どんなイメージを持ったのか子どもに発表をさせる。
(この時、洪水の前後の様子なども想像して発表させる) ・荒れ狂う利根川 ・岸に立っている木などがどろ水に押し倒されている ・家が濁流に流されている ・洪水がくる直前に水の音が大きくなるのを聞いて、回りの人に知らせに行く人がいる ・流される人を助けようとする人がいる ・流されてしまった人もいる ・助かって喜びあっている人たちがいる。 ・助けようとしたが、流されてしまい、自分の力のなさを悲しむ人がいる
   3 グループになって、身体表現で表してみよう。
    グループに別れて、話し合い、身体表現を考える。
   4 グループで考えた身体表現をお互いに発表し合い、良かった点を見つけ合う。
      ・手の先まで、意識があった。
      ・〜君の表情が本当に洪水にあった時のようで良かった。
      ・利根川の波と、流される人の対応が良かった。
   5 良かった部分を合わせて、全員で表現してみる。
   6 その表現を全体が見える場所から子ども(何人かに)と教師が見て、どうしたらよりよく なるかを言い、いろいろとためしてみる。
   7 ビデオに撮って、全員で見てみる。  
   8 ビデオを見て分かりにくいところや、変な部分を直す。
 以上のように進めていくが、教師のイメージも子どもに伝え、いきずまった時には、「こうしたらどうだろう」という形で、指導していく。その他の部分も、同様に指導していき、全体を完成させる。
 合唱・独唱・朗読・身体表現など、どの部分の指導でも、イメージということを大切にし、内面の充実を目指している。また、普段の体育の中でも、対応ということや、笛や号令で動くのではなく、自分で考えて動こうというような方向で指導している。列を揃えたりする場合でも、「前へならえ」などは、させないで、自分の目と頭で整列するというようにもしている。こうした普段の生活のちょっとしたことの中で自分で感覚をつくるとか、自分で考えて動くとかを要求していくことで、常に頭を使った学習や、生活ができるのではないかと現在取り組んでいるところである。

4.取り組んでみて

[プロメテウスの火]という[表現]に取り組んだ時の子どもの感想である。
私は、一生懸命、堂々とやりました。私は、プロメテウスの火だけに集中しました。歌も、山も水も一生懸命やりました。そして、最後の歌「高くかかげよ」で私は、一番最初のころを思い出しながら歌いました。最初のころは恥ずかしくて集中できない時もありました。でも、今日ははずかしくもなく集中できました。そして今その成果を出しました。私は、プロメテウスの火を一人の人間のように感じていました。だから、別れるのがつらかったんだと思います。本当につらくて涙が止まりませんでした。みんなも教室に帰ると泣いていました。私は、プロメテウスの火をやって本当によかったなあと思いました。私たちにプロメテウスの火がいろいろなことを教えてくれたような気がしました。
  発表会の後に書かせた感想である。実際女子のほとんどは、最後あたりでは泣きながらの[表現]になっていた。参観をされていた方たちも何人も泣いておられた。こうした事実がある限り私は、この[表現]をやり続けると思う。この[表現]は、子どもを能動的にさせるもの内面を充実させるものと思うが、そのためには教師自身が[表現]にほれこむことが必要だと思う。
 きちんとしたデーターをとっていないのでどのように成果があったかということは数値では表せないが、私の意識の中では、この[表現]のおかげで、私の学級経営はなりたっているという気持ちを持っている。

[表現]をする時使える楽譜

梶山正人オペレッタ曲集 「かたくりの花」
    (内容) 熊はなぜ冬眠る くつ屋と小人
         おむすびころりん
         手ぶくろを買いに
         かさじぞう
         大工と鬼六
         火い火いたもれ
         かたくりの花

オペレッタ・合唱曲集 「子どもの世界だ」
    (内容) 子どもの世界だ 他

オペレッタ曲集 「みんな友だち」
    (内容) あほろくの川だいこ 瓜コ姫コとアマンジャク 他

合唱曲集 「子どもの四季」
    (内容) 利根川 子どもの四季 他

梶山正人オペレッタ曲集 「子どものためのオペレッタT」
    (内容) みにくいあひるの子
         三まいのおふだ
         虔十公園林

「子どものためのオペレッタU」
    (内容) はだかの王様
         雪渡り 他 以上 (一莖書房)

丸山亜季歌曲集U 「風と川と子どもの歌」
    (内容) 風と川と子どもの歌
         プロメテウスの火 他 (一ツ橋書房刊)