第6回「授業研究の会」公開研究集会報告

と き   2002.8.9〜11
ところ  京都・コミュニティー嵯峨野

 今回も3日間とても充実していた。やっぱりこの会の実践は本当にすごい。
 一般的にすごいと思える実践よりも、もう何段階か上ではないかと思う。市販されている教育関係の実践ビデオは何本も持っているが、そのどれよりもすばらしい実践が多く発表されていた。次元が違うといったら言い過ぎかもしれないが、正直そう思う。なぜ、こんな子どもたちの姿が出てくるのだろうという本当に不思議な気持ちにもなる。そして、最後は、いつも自分はどうなのかということを反省させられる会でもある。そういう意味で、私にとってとても貴重で、励みになる研究会である。

石井さんの学級づくりについての発表

 石井学級のこどもたちのしなやかで、洗練された姿。柔軟運動、表現、授業風景どれをとっても超一流の姿がスクリーンに映し出された。
 石井さんは、戸田さんや高崎さんとは違ったアプローチでここまでもってこられたというそんな感想をもった。(違っていたらごめんなさい)戸田さんや高崎さんは、能動性を引き出すような生まれ持った感覚というものを兼ね備えているのだが、石井さんは努力によってそれを獲得しているというそんな感想である。
 自由発表の時、夜中の2時まで、熱く語ってくれた高崎さんの話でそのことを感じた。高崎さんは、そういうスタイルが高崎さんにとって自然なのである。なんといっても、子どもたちを怒鳴ったことがないというのも、驚きだが、事実なのであろう。ほめて、ほめてほめまくる、ただ、そのほめる方向によって、教師の願いを子どもたちに入れていくというのも高崎さんにとっては、それが自然なことなのだと思う。しかし、石井さんは、この会に入会当時は、今のような学級の姿ではなく、普通に近いものだったように記憶している。ただ、宮坂先生(授業研究の会代表)に執念深く質問したり、食いついたりする人であった。そうした執念深さが今日の石井さんを作り出していると思う。宮坂先生に質問して、方向性を確認し、それを試しては修正をするということを繰り返して、今の姿を作り出していったのだと思う。
 石井さんの学級づくりの発表は、とてもわかりやすく、また、表も裏も語ってくださった。特に子どもに「先生は主体的に動くことを強制していますね」っと言われたという話などかくさず語られる姿に共感が持てた。今回の発表は特によく整理されていてわかりやすかった。柔軟やドリル的な学習で子ども同士の教え合いのシステムを作っているところなど、とても参考になった。また、勉強というものはちょっと無理をするところという位置づけを示し、ちょっと無理して高みに登っていくことをこどもたちに要求していくところ、ちょっと大変だなあと子どもが思う前に、これが勉強なんだという感じで前向きにとらえさせるところもさすがだと、感じた。

表現の実習

 毎回、表現の実習では、大槻先生(元 境小教諭)が指導してくださっていたのであるが、今回は、ステップの基本を指導してくださり、その後、表現については、百人あまりの参加者を3つに分け、それぞれに30分で仕上げるように要求された。 たった30分でそんなことはできるはずがないと最初感じた。
 最初、沈黙が続いたが幸野さんが声を出された。その言葉に乗って、私も声を出すことができた。次々といろいろな方がこうしたらいいとか、ああしたらいいとか言い合い、なんとか形を作って言った。限られた時間、自分たちに任されるという主体性を試される状態、そういうプレッシャーの中でみんが力を発揮し、最初無理だと思っていた表現をどの班も見事に創りあげ、発表した。最初の班の発表のみごとさに感化され、自分たちの力を100%以上出し切ったように思う、こうした瞬間が非日常ではないかと思う。
 やってみた感想は、本気でやることの心地よさ、もう恥ずかしいとか、そういうレベルを超えた世界を経験することができた。以前、利根川の表現に取り組んだとき、子ども達の感想に恥かしいとかそういうものをこえて、一心にやったというようなものがあったが、今回、そうした気持ちを自分自身で経験できたことがとてもよかった。
 自分たちで作っていく快感もあったし、自分たちでつくりあげていく中で参加者同士の信頼関係というか、一緒に作り上げているという連帯感を作り出していったように感じた。このことは、大変貴重な経験だったように思う。我々が表現に取り組んでいるのはなぜなのかということを体で感じることができたのだった。

国語の教材解釈

 3つの願いの教材解釈は大変おもしろかった。悲しさの中身を最初のイメージと全くかわったことが驚きとともに快感に変わった。すとんと落ちるというか、納得できるというかそういう感覚であった。この会のすごいところに、教材解釈のすごさというのもその特徴だと思う。
 包囲という新しい概念を教わった。簡単に言うと、問題になる箇所を調べなおすということだと思うが、対立問題の解決は、こうした言葉の意味に立ち返ることが大切であるということを感じた。また、言葉の意味を黒板の横の方に貼っているというのも、今までにはあまりなかったことなので、意味の共有ということを意識しているんだなあと感じた。

この会で強く感じたこと

1.能動性

 「能動性」これが、この会のキーワードである。この能動性に支えられ、美しいもの今の自分にない違った自分を作り出す、非日常の世界に教師が導いていく。

 能動性のすごさ、というか素晴らしさを強く感じた実践は、体育である。実は、私は高校大学と器械体操をしていて、毎日柔軟運動を欠かさずしていた、しかし、この柔軟運動が苦手でいやいややっていたのであるが、なかなかやわらかくならなかったのを覚えている。しかし、この会の優れた実践を見ると、担任を受け持って2ヶ月ぐらいの間にほとんどすべての子どもたちがぺったっと開脚をしたり、ブリッジがえしができたりというすごい事実を見せられる。どう考えても、回数だけではそんな事実は達成できない(自分自身の経験からも)。やはり、一人一人の子どもたちが柔軟をするのが楽しくて、楽しくて仕方がないという状態で初めてこうした姿が現れるのであろう。石井さんの実践は、そうした柔軟を主体的に取り組むためのシステムづくりがあった。男女による相互のチェック、毎朝取り組むということを通して、また、教師の語りかけなどによりそうした事実を作り出していた。
 一方高崎さんの話を聞くと、体育の準備運動だけの取り組みということで、本当に驚く。学級開き初日か2日目にすでに「こんなことできる?」という感じで取り組み、ほめまくって、「次の体育の時にまた見せてね」と言う感じでスタートするということである。子どもは家でどんどんやってくるそうである。普通、5月の連休明けは、子どもの力が落ちるものであるが、主体的に取り組んでいる高崎学級では、5月の連休明けに子ども達は一段と進歩しているということで、連休明けがとても楽しみであるということをニコニコして話しをする高崎さんをやっぱり、違うと感じた。

2.教師の感覚を鍛える

 教師の感覚を鍛えるということが大切であるということを感じた。当たり前のことであるが、子ども達の姿が、普通のレベルを遥かに超えているのであるから、教師の感覚も普通の感覚よりも遥かに超えていく必要があるということなのだと思った。子どもの姿をよく見ること、そして、そのことをどの子にも「先生は、私のことを見てくれている」という信頼感につなげていく。そのためには、昨日の子どもと今日の子どものちょっとした違いを見つけて拡大してほめていくということができないといけないと感じた。一般的にもよく言われていることであるが、この会の実践はそのことを本当にやっていると言う点で本物だと思う。

3.パワーが必要

 この会は出てくる実践のレベルもものすごいのであるが、日程も他の研究会にはない日程で、会を運営する人、参加する人のパワーというか、迫力と言うか、そういうものを感じる。
 たとえば、普通の研修会は、朝9時にはじまったら、たいてい4時か5時に終了し、その後は、交流会でお酒や食事をして終わるというパターンが多いのではないかと思うが、この会は、9時に始まり6時まで、その後、食事の時間が1時間あり7時から8時まで夜の部その後9時まで体育などの実習。交流会を30分。10時から自由発表の時間で、参加者と発表者が納得して終了と言う感じなのである。ちなみに、10日の夜の自由発表の時間は10時から高崎さんが学級のビデオを紹介しながら、参加者が質問していくというスタイルで始まったのだが、終わったのは夜中の2時であった。こういうように朝9時から夜中の2時まで研修をする会というのは、他に類を見ないのではないかと思う。1日に15時間の研修である。今、時間の確認をしてみて改めてすごい研修会だと思う。

その他印象に残った言葉

 事実の前では平等。

 発達   1時間1時間が発達である。

 体育の器械運動などで、ある技を取り組む時に、技ができるというだけではもったいない、その取り組みの中で、丁寧さとかイメージを持って行うなどを一緒に入れていく。そして、そのことが学級づくりにつながっていくという言葉が印象に残った。

 体育の器械運動などで、クラスの一部ができずに残ってからが教師が勝負するところ、教師は勉強しなければ、それをクリアすることができない。

 教師の願いがどのくらい強いか。


 この会は実はとても文章では説明しにくいのである。子どもたちの姿をどう説明するかというのに文学的な才能がない私には至難の業なのである。本当は、ビデオや写真、せめて音声ででも報告できると聞いてくれる人は少しはわかってくれるのではないかと思う。そういう意味でも片山遥氏の「やまなし」のビデオは大変貴重である。はやく、表現や体育、合唱などのビデオが出版されないかと強く願うしだいである。

 一般的な発問は 何を言ってもいい  いい発問は仮説実験授業の例をあげ、選択肢ができるもので、証拠があるものというようなことを言われたが、この考えは野口さんのいい発問「いっけん意見が分かれるが、よく読むと答えが一つになるもの」という意見と同じだと感じた。
 この会の実践をNHKの教育トゥディかなにかで取り上げてもらえると日本の教育が変わると思えるのであるが、そんなことは不可能なのだろうか?宮坂先生、そんなことは無理ですか?

 この3日間、とても充実していた。2学期から、能動性を最大限に発揮させるようなシステム、私の意識改革をしていきたいと思っている。