野の馬  教材解釈                                     

1教材解釈

  この物語は太郎の持っている子どもの世界と、父ちゃんが持っている大人の世界の違いをびょうぶの馬を介して表現している。またそのことの悲しさを二人の別れという形で一層ひきたたせているものである。その悲しさが凝縮した形で最も表されているのは26段落から最後までである。

  また、この場面には不可解なことが多くある。その一つは

 

 前の場面で、うれしさに、大声をあげる太郎を乗せて、馬は野の果てに消えていったのに、なぜ、明くる朝、再びもどってきたのか。

 

ということがある。

  「そんな父ちゃんを、びょうぶの中から、太郎はじっと見つめていた。」とあるからその理由は父ちゃんにあることは確実である。(じっと‥‥静かに落ち着いている様。心を集中する様。)父ちゃんに心を集中しているのである。

  では戻ってきた理由が父ちゃんにあるとするならば、なぜ、父ちゃんが「太郎!」と声をあげても決してふり向かなかったのだろうか。そして、だまったまま再び消えていったのであろうか。この時の太郎の心境は次の2つが予想される。

  A太郎は自分のことをわかってくれない父のことが嫌いだったから。

  B太郎は振り向くと悲しくなり別れがつらくなるから。

  この時はびょうぶの世界に行ってしまうのであるから、父と馬では馬の方を選んでいることになる。その時、父に対するつながりが全く切れていたのか、それとも父とのつながりもあるのだけれども、それを乗り越えて行ったのかどちらかである。

  まず第1に再び野の果てから帰ってきたということはどのように理解したらよいのだろうか、どちらの理由も考えられるのだろうか。Aだとしたら、父に対して自分が正しかったということを証明に戻ってきたということになるであろう。Bだとしたら、自分が違う世界に行くことを父に伝えるために来たことになるであろう。

  父が屏風の前に立った時に次の行動を開始するというのはどんな意味になるであろうか。屏風の前に父が立つということは、太郎がどういう状態にあるのかを父は目で確認できるということである。太郎にとっては父と目を交わらせるということになるであろう。このことが次の行動を開始するきっかけ、いや一つの目的を終えたことになるのである。その目的とは何か。それは父に自分の状態を分かってもらいたいということになるのではないだろうか。このことはAでもBでも共通することになるであろう。

  決してには意思が感じられる。この意思とは太郎にとっての意思であるだろう。決してふりむかないことで、太郎にとっての利点はなにかと考えた時、Aだとしたら、父の反省を促すために無視をしたということになる。Bだとしたら、振り向くことで、自分の行動にさしつかえること、それは悲しくなって野の果てに行けなくなるということではなだろうか。決してには、どんなことがあってもという意味もある。それだけの強い言葉を使用するためには、太郎の目的を脅かす悲しくなって野の果てに行けなくなるというBととるのが妥当ではないだろうか。

  本時の目標

  父との別れをつらく感じながら草原の果てに消えていく太郎の心情を読み取ることができる。

  主な発問

  ○太郎は、なぜ決してふりむかなかったのか。
 ○父のことが嫌いでふり向かなかったのか、振り向くと別れがつらくなると思ってふり向かなかったのか。