第21回益田教育サークル話題

 2002.1.10
安田小学校  原  誠

  「見える」ということ

 正月、何気なくテレビ「ためしてがってん NHK」を見ていて、ある種のショックを覚えた。目からうろこが落ちたというか、もやもやしていたものがすうっと晴れた感じがした。
 子どもたちには、「無限の可能性があるんだから」とか、「簡単にあきらめるな」などとえらそうなことを言っている私であるが、実は自分自身については、私はこんなものだという枠を知らず知らすの間に作っていたことに気づかされたからである。
 斎藤喜博の「子どもが見える」ということは言葉としてはわかったつもりになっていたけれど、実は私には無理だろうなと、最初からその域を目指す努力を本当にはしていなかったように思う。
 バスケットに関わって久しいが、バスケットの試合などでよく感じることがある。強いチームのバスケットの指導者は、あの目まぐるしく動くバスケットの試合の中から相手のオフェンス・ディフェンスのパターンや作戦、どの選手がキーマンになっているとか、自分のチームの弱いところ、そして、今かえなければならないところなど本当に瞬時に見分け、指示を出す姿を見て、とても自分にはできないと感じることが多かった。
 それは、バスケットだけのことで、普段はそんなことはないと自分に言い聞かせて不安感を取り除いていたようなところもあったが、果たしてそうであろうかと最近思い始めた。実は、自分の頭の中に入ってくる情報量の回線の太さの違いも大きいのではないかと思い始めたのである。パソコンでいえば、ISDNかADSLかの違いという感じかもしれない。当然私はISDNであろう。また、興味(ソフト)ということもあるだろうが、その情報を整理分類する能力、パソコンでいえばCPUにあたるであろう。そういうハード面のグレードアップをしていく努力をする必要があるということを感じたのである。
「ためしてがってん」の内容は、速読についてであった。
 速読というのはだれでもできるの?という質問に対してお笑い芸人2人が実験台になりトレーニングをしていくというものだった。最初、速読の名人の様子がテレビに映された。この人のスピードはすさまじく、1秒で見開きが終わるという感じで1分間に約3万文字が読める速さだった。一方お笑い芸人の方は1分間に500字前後で、一般の人の平均程度の速さだった。その時点では、まさかこの芸人が速読などマスターできるはずはないと思っていたのであるが、7日間のトレーニングの結果速読をマスターしたのである。2人とも1分間に1万字程度の速さを身につけたのである。最初は目の動きを規則正しく動かす練習をしたり、一定のスピードで○をおっていく練習をしたりと??と思うようなトレーニングをしていたのであるが、7日目のある瞬間にぱっと全体が見えるようになっていくのである。目をあまり動かさずに全体の意味が頭の中に入ってくるようになったのである。その映像を見て、本当にびっくりした。人間には眠っている能力というものがあり、トレーニングすることにより、人の想像を超える変化を示すことがあるのだということをまざまざと感じたのである。
 振り返って、教育の世界で「見える」ということで思い出すことは、向山洋一も斎藤喜博も放課後の教室で、子どもたち一人ひとりを思い浮かべるという情景を本の中で紹介しているが、これなどは、実はトレーニングになっているのではないかと思う。また、向山洋一は、飛び入りの授業でも子どもたちの名前をほんの何分かで覚えて、すべて名前で呼ぶ授業をしていたけれども、こうしたこともトレーニングによって培われた能力ではないかと思えてきたのである。子どもの事実が見えるということもそうした努力をして初めて身につくもので、全国のすごい実践者はそういった努力をしてきた人と言い換えることができるのではないかと思えていたのである。
そこで、私なりに、「見える」ための努力をしてみたいと思う。
1.放課後や、家などで、子どもたち一人一人のその日の様子を思い出し、姿を思い浮かべる。
2.授業の発言を振り返り、だれがどんなことを言ったのかを振り替える。(1日1時間分)
3.今見えているものは何なのかを目を閉じてイメージしてみる。たとえば教室の様子を見て、目を閉じて教室を再現してみるのである。
 遅ればせながら、こんなことをやってみたいなあと思っている。
 みなさんは、「見える」ことに関してどんなことを思っていますか?